自分は”特別”じゃなかった?”普通”って最高なんだぜ
「自分は特別なんかではない」誰しも一度は思い至り、そして絶望するものだ。
でも、そんなにがっかりすることだろうか?
私は”普通”は素晴らしいと思っている。
そりゃあ、平凡な人生は味気ないかもしれない。勉学や芸術で才能を発揮して周りからちやほやされることはない。テレビなんかで有名にもならない。
だがしかし、「普通」にもメリットがある。ずばり、普通だとみんなと同じ感性を持てること。この地球に住んでいるほとんどの人は「普通の人」だ。
他の人と同じように生活をし、同じようなことで笑ったり悲しんだりする。自分がいいなと感じたことは、大体世間も良いと感じるし、自分がハマっていることは、世間の流行にもなる。みんなと同じモノが好き、ということは逆に言えば、みんなの好みが分かるということ。
好みが分かれば?イラストや小説なんかの創作で流行に合ったモノを作れるじゃないか。
また、自分が普通なんだと思っていれば、人の目を気にせずに行動できる。派手な服を着て外に出ようとも、ジャージを着て外に出ようとも普通な自分を気にする人。だから人の目を気にせずに行動もできる。いわゆる福山雅治理論だ。
それに、”特別”が必ずしも人生に良いわけではない。
詳しくはリンクから記事を読んで欲しい。記事の執筆者である大西拓磨さんは、全国模試では一位を3回とっているし、ルービックキューブを100秒ほどで解いてしまう。
しかし、私たちから見れば恵まれているであろう彼は自身を『しょうもない人生』と表している。実際に、記事ではなんども「自殺」というワードが出てくるし、才能とは裏腹に生活保護を受給していた過去を持つ。
もし彼が普通の人であったのなら、もっと平穏に暮らせていたのではと思うのだ。映画『スパイダーマン』の主人公も、特別な能力を手にしたばっかりに、劇中で家族を失ったりなど苦悩を抱えたりしている。
誰しも、特別な能力にあこがれるが、実際に特別になっても良いことなんかないのだ。
なかなか話しがこじれてしまったが、特別でないと絶望しているあなたに送りたい。普通とは素晴らしいものだよ、と伝えたい。
コメント