いいこと書こうとするから書くのが億劫になる
最近文章を書くのが億劫になってきた。
書くという作業は割と頭を使う。ひーこら言いながら書くのだから、「どうせだったらいいことを書きたい」と意気込み、変に力を入れてしまうのだ。
「説得力があることを書こう」
「分かりやすく書こう」
などと文章のクオリティを上げようとする姿勢は大切だ。
一方で、書く前から「あーでもないこーでもない」と頭を抱えて手を動かさないでいると、「書く=面倒なこと」と感じて、書くことへのモチベーションが失われてしまう。
向上心というのは薬にもなる一方、自分のメンタルを殺す毒にもなりうるのだ。
自分の思う「いいこと」≒他人の思う「いいこと」
「いいことを書こう」と言っているけど、そもそも「いいこと」ってなんだろう?
自分の中で問いかけてみたところ、「新しい視点をもたらしてくれる文章」が良い文章だと返ってきた。
新しい視点……。
なるほど確かに『「書くのが苦手」な人のための文章術』を読んで、
『文章を上達させるには書き続けるしかない』
という新しい視点を得た経験がある。
それまでのハルマチは、文章を書きたいとは思っていた一方、「量をこなす」ことへの抵抗感を感じていた。
しかし、本を読んだことで「やっぱり上手くなるには数をこなすしかない」と確信が持てた。結果、日記ブログを始められたし、「いいこと」が書いてあったと言えそうだ。
けど、毎日生きていく中でこんな新しい発見をホイホイと見つけられないよ!
全員が『ドラえもん』ののび太のように、夢と冒険に満ちた毎日を過ごしているわけではない。大半の人は似たようなご飯を食べて出勤し、同じ仕事をこなして同じ時間に寝る、平凡な生活を繰り返しているのだから。
そういえば以前、小説投稿サイト「小説家になろう」で書いた感想に作者からの感謝の返信が届いたことがある。
自分的には思ったことをそのまま書いただけで「いいこと」を書いたつもりはなかったが、その人は感想をもらったことをツイートする位喜んでくれていた。
この時、ハルマチは気づいた。
自分が思ってる「いいこと」と他人が思ってる「いいこと」は一致するとは限らない
のだと。
自分が「うんち!」と思ってても、ある人にとっては「高級ローストビーフ」なのかもしれない。自分で「ダメ」と決めつけていないで、書いてネットの海に放り出せば、どこかの誰かがあなたの文章から勇気をもらうかもしれない。
結局のところ「良い」か「そうでない」かなんて、世に出してみなければわからないのだ。なら、「自分の文章はダメかも」なんて悩まないで書き続けるしかないのである。
ここまで書いて、「もう40記事以上こんなスタイルの記事を書いているんだし、今更な悩みじゃね?」と思った。
初めは誰だって初心者。時には変な文章を書いてしまうものだ。
けど書き続けていれば文章はきっと上達する。
いつの日か書いた文章を振り返った時に「僕ちん、こんな文章書いてたのか(笑)」と笑えるくらい「いいこと」を書ける人になりたいな。
おわり
記事構成31m→執筆30m→推敲33m
合計執筆時間:1時間34分
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