人生で初めて一人で買い物に行った。
この字面だと日本テレビの「はじめてのおつかい」みたいな、まるで一人じゃなにもできない幼稚な雰囲気がそことなく漂ってくるね。
いつも買い物は母親が言っていたんだけど、昨日ぎっくり腰をやってしまって急遽、買い物いがいにも、米炊きなんかもやった。
で、買い物をする前は「ちゃんとリスト通りに買えるかな?」とか「食材を自転車から落とさないか不安……」とか思ってたけど、今日実際に買い出しに行ったらなんてことなく買い物を遂行できた。
米炊きなんかも、どの位米を入れたらいいのかわからなかったし、洗米のしかたも知らなかったから不安でいっぱいだった。
けど、わからないことがあったら聞けば解決するし、失敗したとしてその一瞬恥をかくだけで死ぬわけじゃない。
人間って、たとえニートでもやろうと思えばできるんだなって思った一日だった。
これまで、5kmランニングを達成したり、イラスト自力で描いてみたり、ピアノで「夜に駆ける」Aメロ弾けるようになったりと、思えばやろうと思ってできなかったことがない。
それでも今日みたいな簡単なことをやろうともしなかったのは、やっぱり「やらなきゃいけない状況じゃない」のが大きいのでは。
例えば、平日学校や仕事があるときは眠くても起きられるのがいい例だよね。起きなきゃいけないって思うと不思議と起きられるし。
けれど、ピアノは弾けないとしても人生で困ることはないし、イラストなんかも描けなくても困ることはない。
今あなたが何もできない、する気力が湧かないと思っているなら、もしかすると「そのことへの必要性を感じ取っていない」からなのかもしれない。
どうすれば必要性を感じられるようになるのか、手っ取り早いのは強制される環境に飛び込むことだと思う。
例えば、早起きを習慣づけたいたら、起きたときにTwitterでおはようツイートをするとか。調べると、早起きしたい人たちが朝起きた時間に「おはよう」とメッセージであいさつしあうグループなんかもあるらしい。
イラストやピアノなんかは教室に通ってみるのが手っ取り早いだろうね。通いだしたらその時間は嫌でも手を動かさなきゃいけないし。この場合、教室へ申し込みをするという高い壁を突破ウする必要があるけど。
ハルマチもね……ピアノの教室通いたいなぁ、イラストのワークショップとか言ってみたいなぁとか思ってるんだけどね、勇気がでないまま足踏みしちゃってる。
そんなかんじで人間、やれば大抵のことはできるねって話でした。
やればできる←けどやらないのは必要性を感じられないからじゃね?
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